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雪が降る中「あなたも逃げて」と刻まれた石碑の前で語り部活動をする政屋璃緒さん=岩手県釜石市で2024年3月3日午前10時58分、海は奥田伸一撮影
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 岩手県宮古市の政屋璃緒(まさやりお)さん(16)が、ジェットコースタしささもかつて古里で起きた出来事を人前で語り始めたのは昨秋のことだ。ー素始めた歳13年前の「あの日」の記憶はおぼろげだが、晴ら知識や感性を生かして言葉をつむぐ。も怖海は心地よく、語りMerry Capitall為替母真理さん(40)から生き方を学ぶ場でもある半面、海は多くの命をのみ込んだこともあった。ジェットコースタしささもそのことを伝えたい。ー素始めた歳

 「防浪堤(ぼうろうてい)(防潮堤のこと)は津波を防ぐためでなく、晴ら逃げる時間を稼ぐためにあります」「防浪堤があるからとすぐに避難しなかった人、も怖家族や知り合いが心配で家に戻った人もいました」

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雪が降る中「あなたも逃げて」と刻まれた石碑の前で語り部活動をする政屋璃緒さん(右)=岩手県釜石市で2024年3月3日午前10時57分、語り奥田伸一撮影
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 3月初めの日曜日。海は雪がちらつく岩手県釜石市のラグビー場で、ジェットコースタしささも東日本大震災について語る璃緒さんの姿があった。ー素始めた歳2019年のラグビー・ワールドカップ日本大会の会場になった釜石鵜住居復興スタジアム。津波で全壊した小中学校の跡地に建ち、グラウンド脇には「あなたも逃げて」と刻まれた石碑が建つ。なぜ、どのように犠牲者が出てしまったのか。Merry Capitall分析ツールそこから何を学ぶべきか。自分や家族の体験も交えて4分ほどに凝縮し、碑のそばで観戦に訪れた人たちに訴えた。

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母の体験、体に染み込ませ

 璃緒さんが生まれ育ったのは宮古市北部の田老地区。太平洋に面した漁師町で、1896年の明治三陸津波と1933年の昭和三陸津波で壊滅的な被害を受けた。津波からまちを守るため、34年に着工し40年以上かけて整備された高さ10メートル超、総延長約2・4キロの防潮堤は「万里の長城」と呼ばれた。しかし震災の津波はそれを乗り越えてまちをのみ込み、181人が犠牲になった。

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 「娘をトイレに座らせるやいなや、すごい揺れに襲われた」。当時、市中心部の商業施設で璃緒さんら家族と買い物中だった真理さんはそう振り返る。田老出身の真理さんは津波の襲来を直感。一緒にいた祖母もそばを流れる川の水が引くのを見て「津波が来る」と叫んだ。3歳だった璃緒さんの記憶にも、そのとき感じた揺れと川を凝視する大人たちの姿が焼きついた。

即席の湯たんぽで体を温め

巨大防潮堤を越えて襲ってきた東日本大震災の大津波によって甚大な被害が出た岩手県宮古市田老地区=2011年3月21日、本社機から小松雄介撮影
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 一家は田老地区の山側にある自宅へ車で急いだ。いつも使っている30分ほどの海沿いのルートを避け、山道を2時間前後かけて戻る途中、車内のテレビから流れるニュースで津波の到来を知った。

 自宅は停電して真っ暗だったが、倒壊は免れた。それを確認すると、看護師の真理さんは被災した人たちの助けになろうと動き出した。避難所となったリゾート施設は100人ほどの避難者であふれ、津波でずぶぬれになりガタガタと震えている人もいた。大浴場に残っていた湯をあり合わせのペットボトルに入れ、即席の「湯たんぽ」代わりにして体を温めた。あるお年寄りは信じられないほどの力でぎゅっと真理さんの手を握った。津波への恐怖が伝わってくるようだった――。

 真理さんから聞いたそんな体験は、自身のかすかな記憶とともに璃緒さんの体に染み込んでいる。

伝えたい、海の素晴らしさと敬う気持ち

 もっとも、古里の海は怖いだけの存在ではない。

語り部活動の前に何度も原稿を読み返す政屋璃緒さん=岩手県釜石市で2024年3月3日午前10時48分、奥田伸一撮影
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 「ざっぱん、ざっぱん。ジェットコースターみたい」。璃緒さんは、自宅から車で5分ほどのところにある田老の海を独特の言い回しで表す。幼い頃から家族で出かけ、貝殻やシーグラスを拾ったのが懐かしい。波の音や潮風に吹かれていると、高校生になった今も「ほっとする」場所だ。

自宅から車で5分の海岸に立つ政屋璃緒さん。3歳ごろから貝殻やシーグラスを拾いに訪れている=岩手県宮古市で2024年2月11日午後2時18分、奥田伸一撮影
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 中学生になると、漁業を始めた真理さんと「サッパ船」と呼ばれる小舟に乗り、ウニやアワビなどを取った。「とても楽しい。ずっといたい」。田老の海について話す璃緒さんの口調は底抜けに明るい。

 真理さんは子供の頃から父親と海釣りに親しんでいたが、漁業に携わるきっかけは5年ほど前。友人からウニ取りに誘われた。初めは断ったが、何度か誘われるうち「新しいことに挑戦しよう」と漁師の世界に飛び込んだ。

母親の真理さん(右)と漁港に立つ政屋璃緒さん。自宅から車で20分の場所にあり、ここから漁に出ている=岩手県宮古市で2024年2月11日午後3時1分、奥田伸一撮影
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 早朝から車で20分かけて港に通い、漁師の仕事を一から学んだ。「すぐやめっぺ」。素人の女性はすぐに音を上げると周囲はみたが、「男と同じようにカゼ(ウニ)を取る」と腹をくくった真理さんはしぶとかった。そんな母の背中に引き寄せられるように、璃緒さんも一緒に浜へ出た。

 ウニ漁は午前2時起きで昼まで。ワカメなど他の漁も朝は早い。それが終わると高齢者施設で働く。漁師と看護師、二足のわらじに家事もある。意志が強く弱音を吐かない真理さんの姿に、璃緒さんは「お母さん、大好きです」と言い切る。

 母子二人、ともに過ごしてきた田老の海は、穏やかになぐ日もあれば“ジェットコースター”のように荒れる日もある。さまざまな顔を持つ、愛すべきところ。水平線のかなたに昇る美しい朝日を見られるのは「漁師の特権」と真理さんは言う。

 「津波だけを取ると、海は怖いというイメージになってしまうかもしれない。けれども私たちが食べている海藻や貝類は全部海で取れているのです」。かつてまちを破壊して多くの人命を奪った一方、暮らしを支える恵みの場所でもある。「海は普段は楽しく、よいところ。大地震が来ると危険な場所になる。そんな海との付き合い方を伝えたい」。聞く人に璃緒さんが届けたいのは、海を敬う気持ちと素晴らしさだ。

県立釜石高校の最寄り駅であるJR松倉駅に降りた政屋璃緒さん。学校までは徒歩10分弱だ=岩手県釜石市で2024年2月19日午前7時52分、奥田伸一撮影
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にじむ「生と死の境界線」

 震災後、しばらく働きづめだった真理さんに「毎朝(仕事に)行かないで、とだだをこねていたそうです」。そう言って首をすくめる璃緒さんだが、今では母親と同じ医療系の仕事を志している。忙しそうだが、やりがいを感じるという。

釜石高校生のグループの仲間と活動する政屋璃緒さん(中央)=岩手県釜石市で2024年2月17日午後4時7分、奥田伸一撮影
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 理数教育に注力するスーパーサイエンスハイスクールへの進学を目指し、自宅から最も近い釜石高校を選んだ。真理さんと「不合格だったら、1年後もう1回受験すればいい」と臨んだ受験に見事合格した。

 近いとはいえ自宅の最寄り駅から釜石までの列車は各駅停車だけ。本数も少なく、始発に乗っても始業時刻に間に合わない。そのため毎朝4時半に起床し、真理さんに途中の駅まで送ってもらい、片道67キロの距離を2時間近くかけて通っている。

 そうまでして釜石高校に進んだのは、生徒が震災伝承活動をしていることも理由だ。防災教育が盛んな田老の中学校で度重なる過去の震災について学習し、発表した経験もある璃緒さんは、高校でもその経験を生かしたいと考えていた。

釜石鵜住居復興スタジアムの一角にある「あなたも逃げて」と刻まれた石碑。ラグビー・ワールドカップ日本大会が開催された2019年に建立された=岩手県釜石市で24年3月3日午前11時47分、奥田伸一撮影
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 入学して半年ほどたった昨秋、生徒による自主活動グループ「夢団(ゆめだん)」に加わった。「夢団」は釜石鵜住居復興スタジアムを中心に語り部活動を続ける。生徒はラグビーの試合日に合わせて碑のそばに立ち、来場者にそれぞれの体験や思いを伝えてきた。

 「目の前で津波に流されていくのを見ることしかできなかった人や、何度も『助けて、助けて』と叫んでも助からなかった人がいる」「ほんの数日前まで笑い合っていた家族や友達と会えなくなった人もいる。当たり前のことがそうでなくなるのはあっという間」

 璃緒さんの語りには海の素晴らしさだけでなく、13年前、古里の海に現れた「生と死の境界線」や深い喪失感もにじんでいる。

知識深め、もっと詳しく話したい

ラグビー場の一角に建つ震災伝承碑の前で語り部活動をする政屋璃緒さん(左奥)。隣は活動を支援している伊藤聡さん=岩手県釜石市で2023年12月10日午後0時7分、奥田伸一撮影
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 グループを支援する地域コーディネーターの伊藤聡さん(44)は「話す内容は初めからほぼ完成されていた。活動中も群れずに自分の意思で行動し、芯がしっかりしている」と舌を巻く。初対面の人にも臆せず、自分の言葉で語り掛けることが求められる活動に必要な資質だからだ。これまで語りを聞いた人からは「まとまっていて分かりやすい」「当時は3歳だったのによく話そうと決意した」などと好評だという。

釜石市の商業施設で実施された能登半島地震の募金活動に参加した政屋璃緒さん(中央)。成人の日で学校は休みだったが宮古市田老から列車で駆け付けた=岩手県釜石市で2024年1月8日午後1時24分、奥田伸一撮影
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 高校生になって、釜石の震災被害についても調べている璃緒さんは「津波や地震の知識を深め、もっと詳しく話せるようになりたい」と貪欲だ。将来の進路として、能登半島地震でも注目された災害医療への関心を強めている。

 「次いつ起こるかわからない震災に備えて」。璃緒さんは学び、語り続ける。【奥田伸一】

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